海の底から見えたのは
▶GG絶望軸
最初に聞こえてきたのはとある少年の唄声だった。
その声は深く、深く、海の底まで澄み渡り泡と共に消えていく。そんな泡達を見上げながら唄から誕生した彼は知った。
この海は、この唄は、誰の視界にも映ってはいないのだと。
まるで悲願するように唄う少年を海の生き物と共に見つめていると、少年はこちらへ気付き驚きからくしゃりと悲しげに表情を崩した。"ごめんなさい"と何度も謝罪する姿はとても小さくその声さえも泡と共に消えていく。
消えていく泡と共に生まれたばかりのこの意識が遠のいていく。
少年は…"おれたち"を唄で紡ぎ出した事を後悔していた。
深く。深く。
「………、?」
先程まで視界いっぱいに広がっていた海の景色が消えた。辺りを見渡すが見知らぬ森の中に取り残され困惑の表情を浮かべる少年、シャフは背に巻いた大きなリボン型の帯がそよ風で横髪と共に僅かに揺れるのを感じながら少し前の記憶を辿り始める。
シャフはシャフの唄声から誕生し、海の底にある屋敷で孤独と過ごしていた。本来人間であったシャフは奇跡の歌声を持つ事から数多くの者が求め、最終的に力を搾り取られそうになり命の危機に貶められた。
そんな瀕死状態のシャフへ吸血鬼の血を飲ませハーフにする事で命を救ったのはその力を搾り取る実験の協力をしていた天才科学者ロルフッテだった。信用していた彼に裏切られ、暴走する最古の力にも絶望し、多くの命を殺め、屋敷の中へと閉じ籠もった。
何をしても死ぬ事が出来ない体は、不老不死は本当に必要だろうか。彼は何百年の月日を掛けその身体で思い知る事になる。
彼の精神に限界を迎え、彼はとある奇跡を唄で紡いだ。こうして絶望と希望に形が生まれ、生命が誕生し、シャフは後悔した。
今海の底で息をしていた彼は絶望から誕生したシャフであり、あれから容易に生み出すものではないと絶句した本来のシャフとその後もう何十年も再会していない。
それもそのはず絶望姿のシャフもまた自己嫌悪に押しつぶされた一人であり、シャフの苦しみを丸ごと受け継ぎ己の真正面に生きる術を諦め海の底で静かに過ごしていたのだ。海で生きていたこのシャフは海から外へ出た事は一度も無かった。
そんな彼は今、突然景色が変化し見知らぬ森の中へ放り出されている。
「───おら、モタモタすんな。さっさと歩けっての」
「!」
ガサリ、と木々から複数の人の声と枝を折る音がこちらへ近付いてくる事を知ったシャフは慌てて近くの木の陰へ隠れる。
ガッ、と蹴る音と共に向かいから姿を現したのはシャフよりも少しだけ見た目が年上に見える少年だった。背後から蹴られた彼は地面へと両手を付き俯く。
「歩けっつってんだろ!」
「っぐ、」
「おいアムリタくんよ、なんだその目は。文句あんのか、ああ?」
彼アムリタは一回り大きな大人達に囲まれ殴られ蹴られの繰り返しでボロボロだった身体はさらに打撲と共に赤黒く腫れ始めていた。
げほ、と咳き込む度に血反吐を吐くアムリタは抵抗せずただひたすらに彼らの攻撃を苦痛の顔を見せまいとしているのか歯を食いしばりながら死んだ目で受け続けている。
「もう一発おまけ、な!」
「が、」
腹を思い切り蹴り上げられ吹っ飛びシャフが隠れる直ぐ側の木へ叩き付けられそのまま倒れる。
(ひ………)
シャフは恐ろしさに怯みながらも重傷の彼を近くで見て絶句し、ひどいと心の中で思う。
「あースッキリした。ちゃんと戻って来いよ、逃げようとしても無駄だからな。ははっ」
複数人の笑い声。暴力に楽しむ男達はアムリタを置いて来た道を戻っていく。
「…………」
「…………、」
虫の息のアムリタの様子に戸惑いながらシャフは震える。彼へ手を伸ばそうと考えたのも一瞬で人間に対しての恐怖が襲い掛かり足がすくみ動けずにいた。
その間アムリタはむくりとふらつく足でなんとか立ち上がり、暴力を振るった者達と同じ道を帰ろうと歩み始めた。ずり…と破れた大きなマントと一緒に足を引きずりながら歩く彼の後ろ姿をシャフは信じられないと驚愕し姿が見えなくなるまで見守っていた。
それから何度も彼が痛め付けられる姿を目撃する事になる。どうやら話を聞いていると彼らはG・G(ジェネラル・ジェネシス)と呼ばれる組織の一員らしく、頑丈でリーダーの息子の存在であるアムリタは部下達から鬱憤晴らしの犠牲となっていた。
何度も笑いながら暴力を振るう連中にも、それを抵抗せず受けるアムリタにも、シャフは怯え動けずにいた。
ある日。いつもの様に部下達が去った後、倒れたままのアムリタがぴくりとも動かなくなる。
「………っ、」
呼吸の音だけが聞こえ、ついに死を感じたシャフは震える足を無理矢理動かしもつれながらも木々の影から姿を現す。こんなにも傷めつけられた状態で、彼は何を想い死んでしまうのだろうか。…それはあまりにも残酷で恐ろしい事だ。
彼の傍でぺたりと座り込み震える手で治療魔術をアムリタへ扱う。海の景色が広がり魚達が泳ぎながら泡を奏でる中、アムリタの傷口にシャフが触れる事で徐々に止血され塞がっていく。
どうしてここまで傷付いても尚抵抗しなかったのか。
─────自分は恐怖で身動きが取れず何度も貴方へ手を伸ばせなかった愚か者だった。
どうして逃げ出そうとしなかったのか。逃げ出せなかったどころか逃げようともしなかったのはどうして?
─────自分は自ら諦め外の世界を恐れ蓋をした。貴方のような勇気は無かった。
「……っ、………、どう、………して、………」
治療しながらもぽろぽろと涙が溢れ返りアムリタの頬を濡らしていく。彼は仰向けになった状態でぴくりと反応を示し瞼を開きエメラルドの瞳が真っ直ぐとルビー色のシャフを見つめる。
涙を流しながら悲しげに意識を取り戻したアムリタを見下ろすシャフ。さわさわと木の葉が風と奏で二人の髪や衣装がゆらゆらと揺れる。
「………さかな…」
「っ…?…え………、」
「いつもこの場所で宙に浮く魚を…見掛けていた。海の生き物が何故、お前の周りを泳いでいるんだ?少年」
「………─────、」
まだ完治してないせいか呼吸を整えながら話す彼の温度はとても機械的で無機質だった。じっと見つめる彼と出会った事で何かが変わったシャフは今までの出来事が走馬灯のように脳内で走り回り、糸が解けたようにぶわりと感情が込み上げ
「っ………、ぅ、………っひ、………」
「…何故泣くんだ?……落ち着け」
ますますしゃっくりを上げながら泣き始めるシャフへ僅かに戸惑いの表情をしながらも傷だらけの手を伸ばしポンポンと少年の頭を撫で始める。
無機質で優しい戦士"不死者"に、吸血鬼は出会った。