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EP 2-4

「レギアス達が身を捧げてまで守ろうとしたアークスがこの様だよ」

可笑しくてたまらないといった様子で笑い出すルーサーの姿が、倒れ込んだマトイと身動きがとれないでいるシャフの瞳に映る。
ごうごうと辺りからは地響きの音が唸りを上げ、此処侵食を受けるか否かの瀬戸際にあるマザーシップ内部へ揺さぶりを掛け続ける。その低い音はシャフにはマザーシップの悲鳴に聞こえ、バラバラと崩れていく辺りの残り時間を訴える声に唇を閉める。

シオンがロビーにまで足を踏み入れ、シャフ達の前に姿を現したのが始まりだった。
オラクルの中枢、マザーシップ中心部までマトイと共に来てほしいと言い残したシオンの表情は、今までの比ではないほどの覚悟と懺悔に満ちていた。予定より早まったその覚悟にシャオは違和感を感じていたが、シオンの言葉を信じたシャフ、スウロ、マトイはオラクルの中枢に向かう。
だが、途中で告げられた通信内容により思わぬ展開となる。


―――アークスに徒なす反逆者、スウロ、シャフを抹殺せよ


それは六芒均衡の一、レギアスが展開した絶対令(アビス)であり、アークスにとって逃れられない指令だった。
不可解な外部組織との接触、サポートパートナーへのハッキングを介しての交流、ダークファルスとの対話、アークス内部に未確認未登録の人員。
これらの情報を総長ルーサーは思うままに偽造操作し、アークスの敵だと判断させた。罪人の扱いとなった二人はダーカーだけでなく、アークスからも追われる身となってしまったのだ。

全体告知された展開にシャオはこれまで深く足止めしてこなかったルーサーの思惑に驚愕し、焦りを見せる。完全とはいえないが、シオンの弟と名乗るシャオにとって演算ミスは責任重大な話であり、本人へ過大な圧が振り掛かる事となる。
しかし、怯んだシャオの様子にマトイは首を横に振った。
大丈夫。大丈夫だよ。
スウロも、シャフも、二人に協力してくれてる人達も、皆を助け、わたしも助けてくれて。
そして今も、誰かのために頑張っているだけなんだから。

マトイの言葉に背中を押され、シャフ達はアークスが敵対して来ようと、ダーカーが襲い掛かって来ようと、六芒均衡奇数番号自らが向かって来ようと、前に進み続けた。
前進する彼らの熱意に満ちた流れに乗り、絶対令にも揺るがない心でシャフ達を援護する者達も増えていく。
数多くの想いを受け継ぎ、シオンの声が聞こえる最深部へと足を急がせる。


その想いを、ルーサーはいとも簡単に切り捨てた。


「君達が刃向かおうとしなければあるいはもう少し長生き出来たかもしれないのに、残念だったね?」
「……どうして、こんなことを。わたし達を、何だと思ってるの…!」

普段の彼女からは考えられないほどに怒りに満ちたマトイの叫びが響き渡る。
ルーサーによる重力操作により、指一つ動かすにも苦戦するほどに重くなった自身の身体を必死に引きずりながら言葉を放つ彼女に、全ての元凶と言える彼は鼻で笑う。

「何だと言われても君達アークスはもともと、僕たちフォトナーの玩具じゃないか。君達だけじゃない、この宇宙に広がる全てのものは僕にとっての実験場で、遊び場だ。そして玩具は遊び終わったら片付ける。……それは、当たり前のことだろう?」

そう言うとあの欠片だった創世器「白錫クラリッサ」を持ったマトイに興味を失ったのか、今度はふらつきながらも過大な重力を受け続けているシャフへ視線を向ける。

「シャフ、君も中々愉快な玩具だったよ」
「………」
「知っているよ、君が何者なのかを。あの魔女と名乗る者と出会ってからね。君の唄は、声は、希望にも絶望にもなると。…ああ、失礼。それはあくまで『本来の君』の能力であって、絶望から誕生した君には希望を唄う事は出来ないんだったね」
「絶望……、本来の君……?」

マトイの強張った声にルーサーは僅かに意外そうな表情でおや、知らなかったのかい。と目を細める。
恐らくこの世界では重要とされていない魔女を、研究者ルーサーが口ずさんだ。それはスウロが探している人物・ラビナと出会っている可能性が高い事を意味する。ピクリと反応を示し、そのまま黙り込むシャフの隣で地面に伏せたままのマトイが話の内容が呑み込めない様子で彼を見た。

「本来のシャフは『君』ではない。君は『ここにいる意味なんて初めから無かった』のさ。欠片の分際で生にしがみつく様は実に滑稽だったよ」
「…………」

時空が歪み始め、あってはならない破滅の音が近づいて来ている。
そんな中シャフは、ルーサーの言葉を受けながらも考えていた。

ルーサーの手に吸収されていったシオンが、シオンたちがこの中枢に辿り着く前に話していた事。
フォトナーは欲深く、好奇心旺盛で、適度に怠惰で傲慢な、正しい人のあり方だと。
観測者であることをやめ、彼らにフォトンの知識を与えた自身の行いこそが、間違いだったのだと。
そう話すシオンの瞳は悲しみと、後悔と、無念と、責任と、そして僅かな希望に満ち溢れていた。その姿はシオン自身は気付いていなくとも、きっと私達から見れば「ニンゲン」に見えただろう。
マトイはその心を見抜いていた。シオンという名の宇宙の理も、今生きる人達を導く為に存在した意識も、マトイはしっかりと受け止め、シオンの手を取ったのだ。
その勇気に。その意志に。少なくともシャフという少年は救われ、それは勇気へと変化を遂げた。

瞳を閉じ考え込んでいたシャフはやがて静かにルーサーを見つめ返し、重力操作から逃れ立ち上がろうと再び踏み込む。その姿を見たルーサーは笑うのを止め、僅かに不快気に眉を顰める。

「…理解出来ないな。君は必要とされていない。故に君自身もこの世界を必要とする理由は無いはずだ。君が絶望の身である限り、この世界は…いや、全てにおいて君の味方になる事は無いだろうに。一体何が君を揺り動かす?」
「……やくそく、し、た…から」

震える声を必死に張り上げる。

「シオンとの約束?先に行かせてくれた皆との約束?どちらもくだらないね」

そう言いながら、ルーサーはシャフを見つめ続ける。自身にとって理解し難い言動に対し、自然に分析し始める姿はまさに研究者そのものだろう。シャフはふ、と力を抜き小さく頷いた。脱力し、それでも落ち着いた様子にその場にいる二人は少年に注目する。

「……そう、かもしれない…。ほんとう、は……よくわかってない。ここにいる、りゆうも、ないのかも、しれな…い」
「シャフ…」
「それでも、―――おれ…は、そとにつれだしてくれたこのせかいが…しんじてくれた、このせかいのひとたちが、たいせつ…だから」

シャフは想う。
未知の世界へ足を踏み入れる事に恐れ、歴史を変えてしまったともいえるこの絶望の唄を自分の為に使用し、その事を後悔したあの頃の自分。未だに向き合わなければならないこの感情はきっと、今後も完全に消える事は無いだろう。
だが、その感情さえも素直に受け入れられるよう努力するようになったのは、紛れもなくこの世界にいる者達のおかげだ。
あの時。スウロが受け止めた絶望も。
あの時。シャオたちが背中を押した絶望も。
あの時。マトイがシオンの手を取った絶望も。
今この時絶望と立ち向かっているアカシックレコードや、アークス達も。

「だから、おれが…だれかにとってのぜつぼうでも、こう…して、る。シオンも、きっとそうしていたから」
「そんな理由で身を投げると?」
「…それが、だれかにとって、の…みちびきになるのな、ら」

絶望の欠片のシャフにとって、それらは全て彼に意志を持たせるには十分なものとなりえる勇気だった。
今この時、恐怖心によりただ眺めることしか出来ずにいた絶望を終える時が来たのだ。

「…どうやら君はシオンと同様に余計な感情をこの世界で身に付けてしまったようだね。はなから期待はしていなかったが、実に残念だ」
「……」

シャフは動じず、答えなかった。
静かに、真っ直ぐと見つめ返す未だかつて無い彼の様子にルーサーは僅かな苛立ちを見せ始める。
シャフの覚悟を聞いていたマトイがくしゃりと悲しげに表情を崩し、重力操作に負けじと必死にもがきながら、引き止めようと手を伸ばす。

「身を投げるなんて駄目だよ、シャフ。わたし達は道具じゃないし、犠牲になる為に此処に来たわけじゃない。シオンさんも、先に行かせてくれた皆も、今苦しんでいる人達も助ける為にいるの」
「………」
「貴方の事、わたしにはきっと知らない事が沢山ある。それでも、わたしにとって貴方の事も大切なの。だから共倒れだなんてこと、わたしが絶対にさせない。わたしが全部、全部助けるんだから…!」

その言葉はスウロと出会った頃とは考えられないほどにはっきりとした彼女の感情だった。記憶を失い、外の世界から自然に距離を取っていたマトイから見ると、シャフの言動には以前の彼女と共通するものがあるのかもしれない。それとも自己犠牲の節がある彼に一つ、胸騒ぎがしたのだろうか。

マトイの落ち着かない様子に前に立っていたシャフは振り返って考える仕草をした後、ほんの少しだけ微笑んで見せた。ふわりと周りで泳いでいた熱帯魚達が泡を奏で、シャフの柔らかな髪を撫でる。
初めて見せる優しくも儚げなその笑みに、マトイは目を見開き、それ以上言葉を掛ける事が出来なくなった。
代わりにルーサーが重力操作の他に風魔法を唱え始め、彼に定めながら冷たく言い放つ。

「この状況でよく大口が叩けるものだ。君達がどうあがこうが、そんなもの全知の前には等しく無価値だというのに」
「……ちが、う」
「なに?」
「むかちか、どうか…は、だれかにいわれてはんだん、しない」

じぶんできめること

シャフは胸に手を当て、もう片方の手をそっとルーサーへ差し伸べる。
まるで彼へ問い掛けるように伸ばされた手をルーサーは一時法撃の詠唱を止め、無言で見つめ返す。ごうごうと辺りが崩れていく中、ほんの僅かだが二人に沈黙が降りる。

「だから、あなたがいってる、こと、ひていできない…けど…、……あなたも、このきもちは…しってる、」

ここにいるシャフは本来の彼ではない。
あくまで彼が唄い上げた二つの奇跡の内の絶望という存在であり、欠片に過ぎない。
絶望で出来たこの身体がいつまで形を保っていられるかも、分からない。
それでも、今のシャフはその運命を受け入れ始めていた。例え自らの絶望を受け入れる事で、いつかこの世界から消えていなくなったとしても、少年には守りたいものがあった。

「シオンも、おれたちも、あなたも…しってるかんじょう、だった、はずーーーー」
「笑えない冗談だ」

絶望と呼べる存在が勇気を振り絞りながら奇跡を願い、一つ一つの在り方に慈しみの心を持って言葉を紡ぎ、この世界を理解し歩み寄ろうとする様を、フォトナーにはどう映って見えただろう。

ヴ、と時空がざわつき、肌を刺す風がルーサーの手を中心に取り囲む。ルーサーの表情は前髪が掛かり見えず、思考を読み取る事は出来なかった。
法撃がシャフへ向けられ、少年は冷や汗をかきながらも覚悟を決め、ぎゅ、と目を閉じ身構える。マトイが悲鳴を上げる。

どん。

爆発音が響き渡り、行き場を失った埃や風が上へと舞う。
しかしシャフ自身痛みを伴ってはいなかった。

「―――貴様…!っく、」

恐る恐る顔を上げると、まず目に映ったのは金色の髪に紋章が刻まれた黒い羊の角。シャフの視界の先には長身の彼スウロが守るようにして杖を前にかざし、その場に立っていた。突如現れた彼に一同は驚くが、スウロはあのゆったりとした雰囲気を崩すこと無くニコリと微笑む。

「間に合ってよかったのです。応急処置で申し訳御座いませんが、治療しますね、です」

そう言って彼は唖然とするルーサーから目を離しシャフとマトイへ振り返り、回復魔法を唱える。途端キラリと光が二人の傷へと集まり、暖かな温度が身体に染み渡る。治療を受けながらマトイが戸惑った様子でスウロへ聞く。

「スウロ、どうやって此処に?確かフーリエさん達の援護をしていたはずじゃ…」
「あの後増援が来て無事を確認出来ましたので、シャオさんの協力でお二人の近くまで飛ばして貰ったのです」
「じゃあフーリエさん達は無事なんだね…!」

ほ、と一息つくマトイの反応にスウロは穏やかな表情で微笑む。
ふと、安心してとあることにマトイは気がつく。彼女が持つ白錫クラリッサにより中枢までたどり着けた二人から見ると、何故彼は此所に入る事が出来たのか検討が付かない。理由を聞くと、彼にもはっきりとした事は分からないようだった。
しかし、

「シャフさんと同じ人物として判断されているからかもしれませんね」

その一言はマトイには理解が出来ない返答であり、思わず首を傾げる。スウロはそんな彼女を宥めるように大丈夫ですよ、と話す。
恐らく別の世界から訪れたシャフとスウロが同じ人物として扱われている為、シャフが此所にたどり着けた時点で同じ目的地に立つことが可能なのかもしれない。という予測をスウロなりに立てたのだろう。仮に可能であれば、今後の活動に役立つ。
シャフには伝わったようで、傷を癒しながら二人のやり取りを黙って聞いていた。負傷していた二人の治療を終えるとスウロはシャフへアイコンタクトを送る。気付いたシャフも見つめ返し、お互いの無事を再確認した後静かに頷き、ルーサーへと向き直る。

「それより二人とも、もう動けるようになっているはずなのです」
「!」
「え?……あ、本当だ……動ける…!」

スウロに言われるまで気がついていなかった二人は、先程から身体が軽くなっている事に驚き、自身の手足を見る。未だに地響きが鳴る中スウロはルーサーの方へ顔を向けたまま話を続けた。

「動けるようになったのはシオンさんのおかげです。どうやら今ルーサーさんの動きを止めているのも、彼女のようなのです」

スウロの声は真剣だった。
ルーサーを見ると、彼はこちらの身動きを封じた時と同じような状態で、動きが鈍くなり、重たい自身の身体を崩さんと必死に保っているのが分かる。取り込んだはずのシオンに動きを封じられ、攻撃出来ない自身の腕を見ながら彼は銀色の瞳を歪ませ、焦りの表情を浮かべている。
そして、生命の光がルーサーの近くで集まり始め、それは徐々にシオンの姿へと形作り、透けた状態で現れる。マトイがシオンを呼べば、彼女は返答せずに見つめる。マトイにはそれが、心なしか普段よりも微笑んでいるように見えた。

『シャフ、スウロ。あの時言えなかったあなたへの、最後の依頼だ』
「やめろ、シオン…!そんなことを考えるんじゃない。僕の知っている君は、僕が憧れた君は、そんな事は考えない!」

シオンの言葉を遮ってまで否定し叫ぶ彼の声は悲痛に満ち溢れ、今まで作り上げてきた自身の理想が覆される瞬間を恐れているようだった。重力に苦しみながら髪をかきむしり、シオンの思考を読み取り、感情を与えた者達に怒り、嘆き、彼にとっての希望へと手を伸ばす。
シオンはルーサーの声を黙って聞き、そうしてスウロ達へ告げる。

静かに。
穏やかに。
安らかに。



「わたしを、その手で…殺せ」

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