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 05 

暗い暗い夢。何も見えない夢。






――――――――――――――――――

「……」

ぼやけた視界から白い天井が見え始めた頃、シャフはひっそりと眉を寄せる。後ろのベットを背もたれにしていたシャフはふと横を見ると、静かに寝息を立てるファフの姿があった。

ファフと一心同体になってから一カ月。自分が何者なのか、何故ファフのもう一つの人格になったのか、未だに曖昧な記憶のままでいるシャフにとって不安定そのものであった。

近見る夢も何かわからない。暗くて何も見えない、けれど耳に嫌なほど残る言葉の数々。
バケモノ、と。

バケモノと言われるのは、やはり自分が吸血鬼だからなのか。

それに気になっているのは、あの時出会った青髪の少年。ティミリアという奴に会って一瞬、『記憶』がフラッシュバックしたのだ。

その記憶は場所。とても広く、教会の様にステンドガラスを張り詰めた館が見えた。

あれはきっと俺が居た場所。シャフはそう確信していた。ティミリアなら、何か知っているのではないかと考えたシャフはあれからひそかに探していたが今になっても会わないでいる。無言でファフを眺めていると、遠くのドアの外からトントンと小さくノックする音が聞こえた。その音でファフも目が覚めたらしく、ぴく。と体が動くとゆっくりと重たい瞼を開く。ルビー色の目で何があったのか分からないような表情で見るファフに、シャフは小さくため息をするとフ、と消えてしまった。
と、もう一度ノックする音が聞こえ、今度はむくりと体を起こし白いワンピースをひらりと揺らしながら床へと足を伸ばす。そのままドアへと向かい鍵を解除しキイ、と小さく開くと

「おはよう、よく眠れた?」

にこりと微笑みながら姿を現したのは透き通る様な青空色をしたセミロングのアルトレーデだった。

「…おはよう…」
「いきなりで悪いんだけど、頼まれてくれないかな?」
「…?」
「この書類なんだけど…僕ちょっと用事があってさ。代わりにエコーに届けてくれない?」

そう言って小さなバックから取り出したのはズラリと文書が書かれた数枚の書類だった。忙しいと事情を聞き、少しでも役に立てるのならと考えたファフは少し困った様な表情をしつつ話すアルトレーデに向かって小さく頷いてみせる。

「…はい…」
「ほんとっ?ありがとうファフ!じゃあ宜しくね」

ぱっと明るい表情を見せさっそくといった様子でファフに両手で書類を渡すと、アルトレーデは手を振りながら小走りでその場所から離れていく。その素早い行動に目を丸くして一時眺めていたが、やがてはっと頼まれた事を思い出しながら着がえる為に部屋へ戻っていった。




+ + + +


部屋から出ると長い廊下が一本に続いていて、所々に同じ様な扉がちらちらと見えた。真っ直ぐ行けば分かれ道が見えてくるだろうその白い廊下を、黒服を着こなしたファフがゆっくりと足を踏み入れる。小幅に歩けば頭に付けたヘッドドレスと同時にドレスの下についた林檎の様に赤いフリルが交互に揺れ、首に掛けた赤い十字架がキラリと光った。未だ慣れない格好で歩くファフの横で宙に浮きついてくるのは青い十字架を凛とさせたシャフである。この十字架にはそれぞれシャフの魔力が入れ込まれていて、発動させればファフは『弓』シャフは『矢』の武器へと変化するらしい。最近になって大分攻撃法を思い出しつつあるシャフは緊張したファフに気に掛ける事も無くただ静かについてくるのみ。

ある程度進んでいくと三つの分かれ道ができ、左方向へ曲がってすぐ近くに見えたとあるドアの前にファフは立つ。エコーの部屋に着くと小さく深呼吸し、遠慮がちにノックすれば「入れ」という短い応答が聞こえた。口ごもった様子で失礼しますとお辞儀しながらドアノブを持ち押すと、真ん中の大きな机に置かれた書類の山に一つずつ目を通してペンを回しているエコーの姿があった。そのエコーがこちらに目を向けるとファフの姿に意外そうな顔をして口を開く。

「ファフか。珍しいな、何か用か?」
「……あの…これ…アルトレーデさんから…」
「ああ…、その書類か。やれやれ、またオレが管理しろって事か。こっちも忙しいんだけどねえ…」

持って来た書類と内容に理解し溜息をもらしながら呟くと軽く手招きされ、おずおずとファフは扉を閉め部屋の中へと入る。机の前まで来て両手で書類を渡すとエコーはすらりと受け取り、会話を続ける。

「…その恰好、よく似合ってるな」
「……え、」
「ハリーの妹さんに作ってもらったんだろう?」
「……はい…」
「やっぱりな」

そう言って軽く笑うエコーを見て、中々話す機会の無かった為表に出ていた重たい雰囲気はどこか消えている事にファフは気付く。
すると。
こんこん。がちゃ、

「エコーさん、いますか?」

閉めていた扉が再び開き隙間から姿を現したのは、鮮やかな蒼色のロングヘアに見え隠れする翠眼が印象的な一人の女性。手には箱の様な物を抱えていて、ファフとエコーが居る事が分かるとほ、と一息し微笑みながら一礼する。

「リンセ…また持ってきたのか」
「はい、エコーさんの好きなチーズケーキです。今回も自信作ですよ」

エコーが何食わぬ顔で問うとリンセと呼ばれた女性は嬉しそうに返答し、部屋の中へ足を踏み入れこつりとヒールの音が響く。そしてファフの隣に来ると興味深そうな顔でこちらを覗き込んできた。

「あれ、新人さんですか?もしかして噂の子でしょうか」
「…あ…あの……」
「ファフだ。まだ分からない事も多いだろうから、いろいろ教えてやれ」

見慣れない人に話し掛けられ戸惑っていると、エコーがフォローする様に代わりに答える。その言葉を受け取るとリンセは持っていたチーズケーキが入っているらしい箱を机の上に置き、またにこりと「宜しくお願いしますね」と笑いかけてくれた。

「そういえば、噂だと二人いると聞いたのですが…気のせいでしょうかね?」
「ああ、確かに『二人』だな。おまけにもう一人は影が薄くて視えねーシャイな子だ」
「え…」
「視えない?」
「まあ、本人に聞いたら分かるんじゃないか」
「本人、ですか。一度会ってみたいです。ファフさん、その方は何処に?」

今まで黙って聞いていたシャフがぴくりと反応し、エコーを睨み始める。状況をあまり把握していないリンセと、まるで挑発をしている様な態度を取るエコーにシャフは明らかに苛立ちを見せていて、その様子が分かってしまうファフは息詰まった。どうしようか必死に考えている内に黙り込んでしまい、会話が途切れた事にリンセは不思議に思い話し掛けようとしたその時である。

ぐる    ん

視界が代わった瞬間ガン、と机を蹴る音がした。
はっとして目の前の光景に動揺するファフを見ようともせずに入れ替わったシャフは目付きの悪い赤い瞳をエコーに向けながら机に片足を置き身を寄せていた。ひらりと紫髪と羽織った夜色のコートが生きているかのように揺れ、両腕に付けられ後ろで繋がっている長いベルトの様な飾りがそのコートとすれる音を鳴らす。一瞬の出来事にリンセも呆然としていたが、エコーは特に焦った様子も無く、逆に笑みを浮かべたままの彼にシャフはますます腹を立て、低い声で問いかける。

「俺を馬鹿にしてんのか」
「そうだな、これぐらいの挑発にあっさりとのる辺り面白いよ、吸血鬼サン」
「…」

何かを確かめる様に見返してくるエコーに目を細め片手をコキ、と鳴らし始めるシャフにファフは怯える。思わずリンセを見ると、意外にもリンセはあの後動揺した表情が消え、静かに二人のやり取りを見ていた。

「…その減らず口、二度と喋れねえ様に潰してやろうか」
「それは困る。あいつらの面倒を見てくれるのなら有難いが」
「誰が見るか」
「だろうと思った。…だったら、大人しくして貰えないか」

ひゅん、殺気に満ちていた部屋の雰囲気がごろりと凶変し、一気にピークまで達する。もはや掛ける言葉さえ失っていたファフをよそに、喧嘩腰で反論していたシャフに突然襲い掛かって来たのは細長く自在に曲がる鞭だった。理解する前に避けようと思わず机から足を退くが反応が遅れ両腕と首元を縛られ身動きが思うように取れなくなる。
ぎり、と絞められ呼吸が浅くなり、がくりと片膝を床に付けば、それを見下ろすエコーは満足そうな表情をして自ら取り出していた鞭を持ち直す。

「オマエは攻撃と素早さは確かに飛び抜けて高いが、隙がデカいのが難点だな」
「こ、の」
「おっと。動いたら余計絞まるぜ?」
「っ!…ぐ、」

無理に手首を動かそうともがくシャフを静止する声で反射的に一瞬止まる。
その隙を逃がさず片目で見ると持っていた鞭を引き上げ椅子から立ち上がり、真っ直ぐに鞭はシャフも共に寄せ上げだんっ、と両腕が机に叩き伏せられた。屈辱的な気分になり思い切り睨み上げるシャフにエコーは妖しく笑みを浮かべ「大人しくしてくれたら放す」と付け足す。

(シ、シャフ…)

これ以上は無理だ。そう悟るであろうこの状況に一番理解していたシャフがファフの言葉に詰まると、

「……チッ、」

ふい、と悔しそうな表情で目をそらした。
その表情に降参だと分かるとエコーは素直に鞭をびゅ、と鳴らしながら縛っていたシャフを解放する。机に向かってうつ伏せになっていた体を起こしエコーへ警戒の目を向けるシャフの横で、ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。

「さすがです、エコーさん」

冷静に観察していたリンセが笑いながら拍手をして褒め称えた後、今度はシャフの方を見て

「貴方が…もう一人の方?ファフさんは何処に…」
「そいつはファフでもありシャフでもある。理由は聞いてあるはずだろう?」
「あ、そうでした」
「…」

もう何もしねえよ。暴れられたら困るだけだ、と言うエコーに対してシャフは変わらず敵意の目を向け続けていた。

「……次会ったらぶっ潰す」
「オマエの相手ならいつでもしてやるよ」
「てめえ…その生意気な態度にヘドが出る…!」
「お互い様だろーが。…そうそう、オマエらにさっそく依頼が来ている。後はよろしく」
「話を聞きやがれ、YOU」



 



+ + + +

「…着いた…」
『…』

古びた小さな家。しかし小物類や変わった装飾品などでコラージュされたかのような一軒家だった。外には修理中の時計が沢山積み重なっていて、まるでおもちゃの家だ。

 

あれからエコーが言う依頼を受ける為にファフは町へ足を踏み入れていた。エコーとリンセにあいさつをかわしたのは良いとして、エコーとの揉め合い後不機嫌極まりないシャフと中々会話が出来ず、沈黙のまま目的地へと向かっていた所この家へと辿り着いたのだった。怖い。とは違う気もするが話しかける勇気を未だに持てずにいるファフは困った表情で目の前の建物を見上げる。やがて気を取り直そうと深呼吸をした後、ファフは扉の横にある小さなベルの紐を引く。

カランコロン、
……しん。
反応が無い。
留守だろうかと思いつつ試しにドアノブをひねってみると、いとも簡単にドアが開いた。恐る恐る中に入り辺りを見渡せば、数え切れないほどのダンボールやタンス等が並べられていた。時計、ぬいぐるみ、古い本、おもちゃ、テレビ、カップ、服、アクセサリー。あまりの多さにしばらくキョロキョロしていると、奥の方に人影が見えた。

「…あ……あの…」
「ん…?おお、すいませんな。私の家に何か用かい?」

控えめに声を掛けると姿を現したのは優しい表情をした男性だった。おじいさんといったところか。手にはさっきまで作業をしていたらしい時計の部品が握られている。

「こんにちわ……その…、ぷちりょーしゅかのファフ、です…。依頼を送ったのは、貴方ですか…?」
「君がぷちりょーしゅかの一員?!驚いた、確かに依頼をしたのは私だよ」

ぷちりょーしゅかを口にした途端男性は酷く驚いた表情でファフを見た。無理も無い。

「重い荷物を運ぶ事になるが、大丈夫かい?」
「……頑張ります…」
「じゃあ…あそこのダンボールを外に出してくれ。量も多いから、一人では手に負えなくてね」

男性の言葉にファフはこくりと小さく頷くと、指されたダンボールの元へと足を運び始めた。ダンボールの中には子供が使いそうなロボットや可愛らしい人形が見え隠れしている。落とさない様両手でゆっくり抱えてみると、なるほど確かに重いかもしれない。よろよろとしながら玄関へと進んでいるファフの背中を見ながら男性は微笑む。

「無理しなくても良いよ、お嬢ちゃん。軽いものから運んでくれるだけでも助かるからね」
「……大丈夫です…」
「はは…ありがとう。それにしても、久しぶりに子供がこの家に来てくれて嬉しいよ」
「…」
「お嬢ちゃん?」
「っ!」

がたん

「大丈夫かい!?」

男性は慌てて玄関で足を躓き倒れたファフの元へと走る。一時掃除をしていなかったのか倒れた瞬間ホコリが舞い上がり、ファフの影らしきものだけが映る。しかしその影はやがてゆっくりと立ち上がると、男性を睨み付けた。

「キミは…?」

ようやく見えるようになった頃、目の前に立っていたのは転びそうになったファフと一瞬にして入れ代わったシャフだった。


 

 

 


+ + + +

「助かったよ、シャフ君」

狭かった通路も一段と広くなり、奥にある段差に座り固まった肩をほぐそうと腕を軽く回していたシャフの側に男性はお茶を置く。シャフにとって、『この家の手伝いをする』という依頼にはまったく興味が無かった。むしろなぜこのぷちりょーしゅかという名の機関がこんなアルバイトの様な事をしなければならないのか理解出来なかったのである。しかしファフのもたつき加減にイラついたシャフはこうして入れ代わり、夕方まで付き合った。ファフもその行動に驚いたようだが、シャフ自身も不思議でいる。何をやっているんだ、俺は。

「…用はもう終わったんだろ、帰る」
「おや、帰るのかい?忙しいのに付き合わせてすまなかったねえ。…そうだ、せっかく片付いたんだから何か持って行くと良い。手伝ってくれたお礼だよ」

いらないと答えようとしてファフの視線に気付き止まる。一時考えていたがやがて小さくため息をすると立ち上がり、適当にぶん取って行こうと辺りを見回す。

(…くそ、うっとうしい―――――)

ふと、目に映る。

「ああ、それは娘が書いた楽譜ですよ。私は音楽に詳しくないから、読む事が出来ないがねえ」

さまざまなモノが積み重なっている中、自然に手に取ったのは…一枚の楽譜というモノだった。
シャフやファフにとって、見るのは初めてだろう。…だが、シャフには違和感があった。初めて見るはずなのに、何故か読める。見える。音を連想出来る。
――――――形に、出来る

 

 


す         う
 

 


りん、と透き通る声。ゆらゆらとした視界。踊る様に夜色のコートがはためく。
言葉を飲み込むファフ。ぞくりと鳥肌が立つ。
この場所だけ時が止まる。かなしばりにあったかのような感覚。しかしながらどこか心地良いと感じる歌声。目を見開く男性。
その男性に向けて送る『唄』は何よりも小さく、何よりもぽつぽつと、何よりも優しく、寂しく、
――――――――フ 、

そして何より、短い唄だった。
唄い終えてシャフはハッとする。意識が朦朧としていて息をのんだ。
声に出してしまったという恥じらいではなく、シャフ自身『音楽』に関係があるかもしれないという可能性。それだけでも、大きな一歩だ。

「そうか……そんな、曲だったんだね」
「…」
「娘が居なくなってから見つけてね、聞きたくても…聞けなかったんですよ……」
「…」
「憎んでいるだろうなあ、私の事を」
「…」
「もう遅いのに……いつまでも後悔する気持ちが無くならない……いつになっても…いつでも…私は…」
「本当に、憎んでいるのなら」

こんな優しい曲を、残す訳無えだろ

「 ありがとう、 」

男性は涙を流しながら何度も、何度も、繰り返し呟いた




+ + + +

「帰ったファフちゃんにも、よろしく頼むよ」と、男性のお礼の言葉を聞いた後シャフは今月には雑貨屋をやめるらしいこの家を出る。どうやら今回依頼をしたのは引越しをする準備を手伝って貰う為だった様だ。ある程度予想はついていたが。

『…新しい所でも、うまくやっていければ良い、ね…』
「…」
『シャフ、』
「…なんだ」
『…ありがとう…』

ファフの言葉にシャフはふい、とそっぽを向きそのまま足を動かし続ける。ざわざわと人ごみの中を歩き、ぷちりょーしゅかの元へ帰ろうとするシャフに着いて行きながらファフひそかに考えていた。

シャフの記憶もそうだが、ほんの少しずつ…変化してきている気がする。
状況を見る限り、『音』に関して何か思い出した様だが、それよりも今回気になったのは彼の行動。今までまともに他の人達と会話する事の無かったあのシャフが、手伝いをしたあげくいつもの素っ気無さはあるものの、言葉にトゲが無かった気がした。
成長か記憶か否か。
これからシャフは自分の記憶を少しでも早く取り戻す為に『音』について調べ始めるだろう。正直、ファフはどう受け取って良いのか分からなかった。記憶が戻っていくという事に、喜んで良いのか。見守るのが本当に良い事なのか。記憶のピースが埋まっていくシャフの心境は最後まで行くとどんな風に変わっていくのだろう。またあの頃の吸血鬼に、戻ってしまうのだろうか。ゆらゆらと揺れるファフの心に気付かないまま、シャフは記憶を追い求める。
そして。
きっと時間も止まる事を知らないのだろう。

がし

「――――――――――シャフ…?」

ふとすれ違った瞬間シャフは腕を掴まれる。

黒髪が揺れ、エメラルド色の瞳は真っ直ぐにシャフを見つめていて。その表情はとても、信じられないと言いたげな色だった。

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