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トン、支えられていた腕を放した。驚いて覗き込むユンにシャフは「もういい」と一言だけ口にするとその場に座り込み、すう…と空気を吸い込む。長年使用していなかったのが分かるくん、とした埃と錆びた様な独特の匂い。しかしシャフにとって懐かしいこの景色と空気に黙り込み辺りをぐるりと見回した。
…ああ、あそこだ。広いリビングの奥に横長く真っ赤な絨毯と共に伸びている階段は、他の場所よりも焼け跡が酷く残っていた。じっと見つめていると隣で様子を見ていたファフがビクリと肩が動く。無理もない。思えば記憶喪失は『そこ』から始まったのだから。

「もう動いて大丈夫なんか?」
「…ん」
「いきなり様子おかしくなってん、びっくりしたわ」
「………ごめん」
「……へっ?…え、あ、いや謝らなくてええでっ!?」

シャフが自分から謝る事によっぽど珍しいと感じたのだろう、ユンはうんうんと頷いていた顔をハッとさせてわたわたとフォローのつもりで言葉を濁す。

意識を失っていたシャフがこうして起き上がったのは10分ほど経ってからの事だった。しかしあまりのシャフの態度の変わりように、ユンとファフは戸惑いを隠せない様だ。いや、変わってしまったというよりも「戻ってしまった」というべきか。それにしても力無い言葉のやり取りに少なからず不安を覚える。そんな二人にシャフは気付いたのか否か、一息付いた後ゆっくりとまた床から立ち上がり顔を上げ

「――――記憶、これで全部だな」

そうポツリと呟いた。

「!…じ、じゃあ…」
「…ああ、思い出した。俺が何者だったのか、何故記憶喪失になったのか、」
『シャ、フ……』
「…ファフ。俺はお前を、殺そうとした」
『!』
「なんやて!?一体どういう事なんや…?」

「…教えてやる。俺の『記憶』を」

唖然とするファフとユンの方を見る事は無く、背を向けたままシャフは静かに話し始めた。シャフが話し始めた瞬間辺りの空気はより一層冷気を増し、どこか頭が重くなる様な雰囲気へと変化していく。あちこちのステンドグラスから太陽の光が差し込み、まるでシャフ自身を隠すかのように囲む。



 

 


+ + + +

――――シャフは人間だった。
人間という「モノ」を持っていながら、人間には無い「力」を持っていた。
一歌を唄えば、彼の周りは一瞬にして「希望」と「絶望」であふれた。そう、彼の唄は何かを幸せにする事も、何かを不幸にする事も出来たのだ。大規模な音楽家で生まれたシャフの誕生は親にとって好都合であり 気が可笑しくなる位に皆から愛され、束縛され、一歩も外に出る事を許されずただシャフは屋敷の中で歌を唄い続けた。


シャフは、そんな事を望んでいなかった。しかし突如、ごろりと凶変する。
そう、あの研究者によって吸血鬼の姿へと変えられた時からシャフは完全に、『人間』でなくなった。今まで擦り寄ってきていた人々は怯え、親は怒り狂い、彼自身を否定し、追い出そうとした。そんな人々をシャフは返り討ちにあわせた。こびり付いた血の匂いを嫌でも肌身で感じながら。
人間の裏切りによって人間でいる事をやめた吸血鬼。
彼は、信じる事をやめた。

例え太陽の様な笑顔を向ける少年がいたとしても。
例え神と自称する神から忠告をされたとしても。


例え自分と似た少女から「似ている」と言われたとしても。

吸血鬼は信じなかったのだ。信じてはいけなかったのだ。
後戻りなど、出来なかったのだ。




 

 





「―――何で、後戻り出来へんとか考えるんや」

唄うように話すシャフの言葉を一番最初に遮ったのは、厳しい表情でいるユンだった。
シャフはそんなユンに対して静かに見返す。ファフもシャフも、今のユンを見るのは初めてかもしれない。ユンは一瞬唇をかみ締めた後ズカズカと早歩きでシャフへと近付き、突然シャフの両肩を掴み強く何かを訴えるかのように揺さぶる。

「吸血鬼になってしもうたなら、元に戻る方法を考えればええ。確かにお前の過去は憎しみでしか無いかもしれない。やけど、『此処』から動かなかったらもっとお前がつらくなるだけなんやで?何十年も何百年もお前は『吸血鬼』から動かへんつもりなんか!」
「…」
「無責任な事かもしれへんけど、もっと俺ら『人間』に頼ってくれてええやん。そりゃ、裏切る人もごっさんおるかもしれへんけど、けど…っ、ええ人もそれ以上におるんやで……?」
「…」
「だから…、そんな悲しい事言うなや…!」

ユンの一言一言がこの屋敷内に響いては虚しく空気の中へと溶け込んでいく。ファフはぜえ、と息切れしながらも伝えようと必死でいるユンの姿に戸惑いの気持ちよりも同じ様な感情が胸を締め付けていた。きっとファフ自身も同じ事を言いたかったのだろう。

「……前の俺なら、『てめえに何が分かる』と言うだろうな」
「シャフ…、」
「後戻りしなかったのは、同じ裏切りに合いたくなかったからだ。人の醜い姿なんて、見たくも無かった。俺は、人間が好きだから」
「!」
「人間だった頃の俺は少なくとも人間の事は好きだった。一度持ったこの感情はいつになろうが忘れる事は出来ない。好きだった記憶があるからこそ、深入りされない様拒絶した。俺が『バケモノ』である事は変わりないからな」

『…シャフは、それで良かったの……?』
「…どんなに抑えていても、俺の牙や爪は、言葉は、身分は、全部『人間』を傷付ける。そんな俺に選択肢があったと思うか?」
『でも…っ、一人は…………』

寂し過ぎるよ

ファフの言葉にシャフはかすかに目を見開いた。そしてあの時の、一番最初にファフが見た表情を浮かべながら

「…――――そうかもな」

微笑んだ。

 

 

 


…次の瞬間。

ド                 オ    ン

「「『!!』」」

外から何やら騒がしい物音がした。いや、物音というより何かが破壊されたような、そして尚いがみ合うような細かな音の数々にシャフ達は一旦会話を閉ざす。今いる屋敷のすぐ近くから聞こえる爆音にシャフはかすかに不審そうな表情を浮かべながら、ユンとファフに目を向ける。外に出よう、と考えが一致していた事を確認するとユンは頷き、ファフは不安そうな顔でシャフへと返した。そして急いで奥まで来ていた階段から再び玄関先の大きな扉まで向うとシャフは埃被った手よりも一回りあるドアノブを思い切り蹴り上げる。ガンッ、と短い音がした後扉は案外もろかったのか簡単に開いた。それをもう一度押し上げる様に蹴ると今度こそ外の景色がはっきりと見えた。

「あれっ、何やってんのやチューニー!」
「!避けろ、」

ユンが驚いたのは目の前で先ほど途中まで着いて来ていたチューニーが何やら機敏に動いていたからだ。屋敷から出てきた3人の姿を見た後チューニーは少し強めにそう叫ぶと、同時に真っ赤なベルトの様なモノがチューニーの後ろから無数に襲い掛かってきた。チューニーの忠告で何者かが攻撃を仕掛けているのだと分かったシャフは逸早くユンとファフの前へ移動すると、指で空中に魔方陣を描き腕を前へと突き出し守る。シャフの魔法によって弾き返された相手の攻撃の主となるベルトは次々に相手へと戻っていく。そこでやっと相手を確認する事が出来たが、ユンとシャフは一瞬固まる。

「ヴィルジニー…?ヴィルちゃんやないか!」
「ちゃん付けするな殺すぞ」
「いやいや女の子がそんな物騒な事言ったらあかんやろ!」

容赦の無い言葉を返したのは紛れなく攻撃して来た相手、ヴィルジニーだった。
女性にしてはつりあがった紫の瞳をかすかに隠す金髪に、黒と灰色の棘のある武装。何より腹部に付いた大きな目が不気味で。

『誰…?』
「…あの厨二野郎と同じユンの知り合いだ。一度組んだ事がある」

覚えがないファフは不思議に思いシャフへと聞いてみると、シャフは半ば呆れた様子でチューニー達を見ながらそう答えた。

「で、何でこんなドンパチしとんのや」
「それが俺の定め…」
「スマン分からんわ」
「こいつと戦り合うのはいつもの事だ、気にするな」
「はあ…?つまり、ヴィルちゃんとチューニーはまれに刃を交わす仲っちゅー事か?」
「ちゃん付けするなといってるだろう!」

どうやらチューニーの『予定』とはこの事だったらしい。チューニーとヴィルジニーはお互い攻撃しないと分かるとすぐに低くしていた体を起こし警戒を解く。いつから戦り合っていたのかは知らないが、地面や木々などのさまざまな傷跡を見渡せばかなり激しい戦闘だったのだろうと予想を立てる。しかし何故よりにもよって待ち合わせがこの場所なのだろうか、ユンは首を傾げるもののこの二人に何を言っても通じないだろうと確信したのかこれ以上問うのをやめた。代わりに苦笑いして見せると、今にも飛び掛りそうな目で凝視しているヴィルジニーはため息を付いた後ふと口を開く。

「まあ良い。お前らにも伝えた方がいい事もあるしな」
「伝えたい事?」

「―――カムチャッカ・シングレイが『ぷちりょーしゅか』の本部を中心に暴走を始めている」

それはあまりに唐突の一言だった。

『カム、が………?』
「カムちゃんが暴走って……一体何があったんや…!?」
「イゾルデという女を知っているか。元々アイツは危険人物として本に封印されていたが、カムチャッカが契約を通して開放していたらしくてな。…だが、今のイゾルデは『不完全』のまま。完全に封印を解く為に政府が管理している禁書の一つをこじ開けようとしている」
「禁書やて…?」
「この情報はヒヨウからだ。この件については随分前から問題視されていた様だがな」

一瞬何を言われたのか理解し難かったファフ達は困惑の表情を浮かべる。
イゾルデ、その名を聞いたシャフは目を細めた。カムチャッカが最も「大切」にしている小さな妖精。彼女には何かしら企みがあると予想していたシャフにとって、この事態は驚かなくても良い事かもしれない。しかし、たった今自分自身の『記憶』に終止符を打った所に新たな革命を起こされるとなると、思わず言葉を失った。

 

時間が、限られている。
ぷちりょーしゅかの危機も、立ち尽くしている時間も、
吸血鬼自身、も
いつもより真剣な表情で一つ一つ事情を話していくヴィルジニーに対し、シャフの隣で聞いていたファフは不安な表情で耳を澄ます。

カムチャッカの様子がおかしくなったのは、一ヶ月前からだ。以前から誰かと話しているような時もあったようだが、後になればなるほどそれは悪化していった。恐らくそのイゾルデと話す機会が多くなったのだろう。少しずつ情報集めをしていたのか、それとも最初から「その為」にぷちりょーしゅかへと入隊したのか。かなりの情報が入ってくるこの部隊、なるほど納得がいく。

『…カム……』
「…」

ぽつりと呟かれたファフの言葉はシャフにしか聞こえない。

「…さて。どうするんだ?貴様もぷちりょーしゅかの一員だろう」
「…」
「ティミリア一行も動いていると聞く。ハリー達も放って置かない」
「貴様は、止めるか?」
「……俺は…」

"わからない"
黙り込んでしまったシャフの様子にユンとチューニーは思わず不思議そうな表情で顔を見合わせる。そして一時沈黙が続いた後、静かに見守っていたユンがにっと笑うと口を開いた。

「シャフ、行きや!」
「!」
「お前は、やりたい事を真っ直ぐ突き進めばええんやで」
「やりたい、事」
「もう答えは出てるやろ、相棒!」

ドンとユンに背中を押されたシャフは前へと一歩踏み出しよろける。驚いて何事かと振り向くと手を前に出したユンは軽くウィンクをして合図をし、その後ろでヴィルジニーとチューニーは変わらない表情でこちらを見返していた。目をぱちくりとさせた後、シャフは眉間にしわを寄せ照れくさそうに再び背中を向けると

「…相棒は余計だ」

一度閉じた瞼を開き赤い目が一直線に森の奥を写した瞬間、シャフの姿は凛と消えていった。ぶわ、と遅れてまるでシャフを追い掛けているかの様に追い風がユン達の髪を激しく揺らす。

「…さーて、俺も状況確認してくるか」
「お前も行くのか?」
「ああ、シャフとは違う方向で…やけどな。少しでも役立ちそうな情報片っ端からかき集めてフォローに回るつもりや」
「そうか」
「そう言うお前らは行かへんの?」
「私は興味無いね」
「俺には分かる…彼らの結末を…」
「あーはいはいそうだろうと思ったわ」

ぐぐ、と軽く背伸びをし体をリラックスさせた後、包帯を巻き直しているチューニーの言葉にさらりと返答しいよいよ動こうと足に力を入れた。
…その時だ





――――― ♪

「!」

キイ、と屋敷からの小さな物音と、聞き覚えのある唄声にユンはぴたりと足に力を入れるのを止めた。恐る恐る視線だけ斜め後ろへと移動すると、そこにはシャフが壊した屋敷の大きな扉が寂しそうに揺れている。それだけでなく、一瞬だけ屋敷の中を横切るのが見えた。

―――最初に出会った頃の、『シャフ』の姿が。

息を呑みながら無言で再度大きな屋敷の前に立ち崩れたドアノブを掴まずそのまま扉を押す。かすかな隙間が一人分通れる位まで開き、ゆっくり踏み込むとユンは今度こそ目を見開いた。相手、今見るとかなり幼く見える彼。

「夢でも、見とるんか…?何でちっちゃいシャフが…」

太陽の光があるからだろうか、少し透けて視える小さな少年は穏やかな表情で呆然としているユンを見上げた後、屋敷の奥へと小走りで入り込んでいく。

「あっ…ま、待ちいや!」

まるで手招きをしているような、少年はちらちらとこちらが追いかけて来るのを確認しながら奥へ奥へと足を進める。歩幅がかなり違ってくるのですぐに追いつくが、近付き過ぎるとまたあの時の様に怯えてしまうだろうかと抵抗を感じたユンは不思議に思いつつも後ろからゆっくり着いて行く事にした。やがて奥に進んでいくと真ん中に設置してあった広々とした階段とは別に、隅に地下へと続くのかクダリの階段が見えた。少年はトントン、と短い音を立てながら階段を下りていく。ユンもそれに続いた。


それが最大の、『原点』だとも知らずに。


 

 


+ + + +

「……ファフ」

ざざ、と物凄いスピードで駆け抜けていき、それでも物音がほとんどしない彼の素早さと技術の高さは相変わらずだとファフは思う。そんな彼が森の中を木々を軽々とすり抜ける鳥の様に突き進んでいくシャフの言葉に、ファフは意識を彼へと集中させる。

「俺はてめえの様に優しくなけりゃ、器用じゃねえ」
『…』
「考えてもみろ、あんな毎日どんちゃん騒ぎ起こしてる連中と毎日付き合ってたら体もたねえよ。俺より戦闘能力低いくせにてめえの精神力はどうなってんだ」
『……普通、だよ』
「……何か俺が精神力無え見たいな物言いだな」
『…ごめん』
「…思えばいつだって、くだらねえ依頼ばかり貰ってた」
『…ボクは、楽しかったよ』
「何回も野良猫探したり、人間一人の為に買いモン出たり」
『…うん』
「埃だらけの家ん中掃除」
『おじいさん、元気…かな…』
「さあな。…そういやエコーの野郎に良い思いさせたままだな。あーイライラするぜ」
『……クス、』

思わずファフは笑うと、シャフはむすっとしながら「笑うんじゃねえよ」とそっぽを向く。しかし赤い瞳は今まで見た事も無い位に落ち着いていて、思わずファフはドキ、とした。いや、くすぐったいような胸騒ぎがした。けれどそれを言う事は出来なくて、ファフはさまざまな思い出を二人で語り続けていく。

「……なあ、ファフ」
『…うん』
「…記憶の俺はきっと、人間が好きで…人間を恨んでいた」
『…』
「自分も、相手も、何もかも大嫌いだった。血の匂いを何度も、何度も反吐が出る位に嗅いだ位に、お前を殺そうとした位に」
『…』
「それなのに俺は馬鹿げた事に記憶ぶっ飛んで、ハリー達に会って、依頼こなして、協力だの仲間だの言い合う連中の中にいる」
『…』
「…どうしてだろう。俺、記憶取り戻したんだよな?人間を恨んでたはずなのに、今まではあんなに簡単に殺してたのに」
『…っ、』
「何で、お前らに手を出す事を……躊躇っちまうんだ」


 


『―――――シャフは、変わったんだよ』

突然ファフの強い言葉にシャフはかすかに目を見開き、少し進むスピードが落ちるものの視線は前を向けたまま。

『ボク、最初怖かった』
「…」
『記憶を全て取り戻せば、またボクを襲った頃のシャフに戻ってしまうんじゃないかって…』
「…」
『けど、ね。……ボク、シャフの過去を知った…。シャフの苦しみも、悲しみも…胸が締め付けられる位、痛かった』
「…」
『ボクは、シャフと話すのがとても好きだった…いつも守ってくれて、さり気なく…話し掛けてくれて……嬉しかった、その内シャフの事…シャフの役に立ちたいって思えるようになったの』
「……」
『だからシャフが悲しそうにしていると、ボクも悲しい……もっと、もっと沢山…皆と一緒に…笑って欲しいの…』
「…、」

『記憶を残すのは、大切な事だと思う…けれど……、それに囚われる必要は、きっと無い…どんなに変わっても、シャフは…シャフだから……』


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ファフ」
『…うん、』

「 ありがとう 」
『!』


 

 


きみにあえて    よかった
 

 



ふわり、
光に飲み込まれそうな位白い頬はとても綺麗に微笑んでいて
その笑顔が何を意味するのか一瞬にして理解出来たファフは、

『……――――ねえ、シャフ……ずっと≪此処≫に居て、良いんだよ……?』

表情を崩し、ファフの視界はゆらゆらとゆがんでいく

『ボクが、もっと強くなったら、一緒にいてくれるの…?』

 


『これで最後だなんて、思わないで』


『ねえ、』



消えないで


ふと触れられた手のぬくもりは全く無くて
もう触れる事も出来なかった

それでも頭を撫で続けようとするシャフに、ファフはぽつりと涙を零した

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