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EP 1-10

「え……またハドレッドのこと?」
「はいなのです」

訝しげに聞き返す少女クーナにスウロは動じる事なくニコリと微笑む。最近特によく同行するようになったものの、未だにこの者の性格が読めないとクーナは内心考えた。

惑星ナベリウスでダークファルス【巨躯】が復活してからそろそろ一ヶ月が経とうとしている頃だろうか。元々人気が少なかったとはいえ、此処遺跡に近寄る者がさらに激減した。その為ダーカーの住処になりやすく、時々依頼を受けたアークスらが撃退に出向いているのを見かける。
クーナとスウロの二人も訪れた理由は別件だが、ダーカー退治もかねて探索を続けていた。内容は以前からクーナと協力しながら探していた暴走龍の事で、此処での明確な目撃情報は無いものの、可能性を考え足を運んでいる。

「…スウロさんはあいつのことをよく気にかけますね。あいつは裏切り者です。それ以上でもそれ以下でもありません」

青、紫、赤と、移り変わる空は静かに二人を見下ろしている。あちこち掘り起こされた瓦礫の隙間道をすり抜けながら最奥へと向かっていたクーナは、スウロから視線を外し、いつもよりも僅かに強めの口調で答える。

研究施設にいたハドレッドに過去は無い。もちろん未来も保証されたものではなかった。
それは共に過ごしていたクーナも同様で、しいて言うのならば命令や実験に従う己の姿が彼女達にとっての過去であり、記憶だった。
さらに言うのならば、今現在暴走龍と化したハドレッドが未来の姿だと。

「それよりもあなたには気にするべきことがあるのでは?」
「気にするべきこと、です?」
「この間話していたじゃないですか。唄が聞こえる、と」

穏やかなそのエメラルドグリーンの瞳から逃れようとそらしたクーナは、歩みを止めず背を向けたまま別の話題をふる。

こうしてスウロと共にハドレッドを探すことになる前。
クーナは油断をしていた。
幼き頃からハドレッドによく聞かせていたあの歌を、人の気配が無いのをいい事に一人口ずさんでいた。
この歌はもうハドレッドに届くことはないと、懐かしいあの頃に戻ることは出来ないと、裏切られたあの日から分かりきっていたのに、どこかすがり付く想いでいたのだろうか。

その歌を聞いて姿を現したのは、あの新人アークスだった。

彼は飛び抜けて何か長けていた訳ではないが、新人とは思えないほどバランスの優れたステータスの持ち主で、どんなに危機的状況に陥っても、ゆらり、ゆらりとすり抜ける男だった。又、見た目にそぐわず直感が鋭いのか、クーナがどんなに気配を消したとしても、不思議と見つかってしまう。一部の上官も密かに注目しているのか、それともお人好しな部分が広まっているのか、彼の話題はよく耳にする。ハドレッドの姿を何度も目撃していたスウロを、彼女が気にしないはずはなかった。直感により頻繁に姿をばらされては困る立場にいたクーナは、彼に対し常に慎重に接していたはずだったのだ。それがほんの僅かな油断により、すんなりと「アイドル」としてのクーナと、「始末屋」としてのクーナが同じ人物だという証拠を彼に見せてしまった。こんな予想外な出来事があるだろうか。

クーナの歌声につられた事で真実を知ったスウロは、特にその情報を他へ提供することなく、ありのままの姿を受け止めているようだった。それどころか彼女やハドレッドの事を気に掛け、暴走龍の阻止に協力する素振りをみせた。スウロのお人好しな部分を垣間見た彼女は性格上放っておけず、徐々に会話を交えるようになる。

スウロはとある人物を探す為にアークスになったという。
ロルフッテという男性と、ラビナという少女。そして時々聞こえる悲しげな唄声。彼の事情を聞いたクーナはどうしても他人事には思えなかった。

「悲しそうな唄声なんでしょう?苦しそうな唄声なんでしょう?裏切り者のあいつを気にかける前に、その唄声の人物を探すべきだとわたしは思います」
「ぼくにはあの唄声も、クーナさんの歌声も、悲しそうで、苦しそうに聞こえたのです」

クーナが静かに息詰まり、再び歩みを止める。さくり、とクーナの背後から足音が近付いてくるのがわかった。クーナは思わず冷たい視線を彼に送る。まるでこれ以上踏み込む事は許されないと、自分に言い聞かせるように。
しかしスウロは微笑みを崩す事も無く、あくまで穏やかに話を続ける。不思議とその立ち振る舞いに、一切の恐れは感じられなかった。それがクーナにとってさらに心を揺り動かす材料となる。

「お二人は確かに違う人物ですが、想いは同じなのです。だからあの唄声と同じように、あなた方も放ってはおけません、です」
「答えになっていません。わたしは優先順位を考えろと言ったんです。あなたの手を借りなくとも、あの裏切り者はわたしが、」
「ぼくは最初から同時進行のつもりでいましたのですよ」
「な…」

必死に隠していた動揺をいとも簡単にさらけ出され目を見開き驚くクーナに、スウロは自身の胸に手を当て祈るような態度で言葉を紡いだ。

「だからもっと沢山お二人の事を知りたいのです。もちろん、無理強いはしませんが…あなた方を知る事はとても大切なことだと感じています」

ざあ。
まるで彼の言葉に反応するかのようにして起こる涼しげな風は、クーナ自身を優しく揺さぶり、青と赤のグラデーション掛かった美しいツインテールの髪を梳かし、通り過ぎる。
遺跡に残っていた重苦しい雰囲気を一吹きでかき消し、一瞬で土と花の香りが宙を舞う。薄暗く感じていた視界が見違えるほど明るくなる。
言葉を失った彼女へ微笑みかけ続けるエメラルドグリーン。その姿は、彼女には暗闇の中でも光り輝く宝石のように、魔法使いのように見えた。




「……バカな人。あなたが本来探している人達も、わたしと関わっている間に手遅れになるかもしれないのに」

ここでようやく彼に惹かれたのは、偶然ではない事を彼女は知る。すとん、と自然に腑に落ちた心は落ち着きを取り戻し、同時にスウロへの関心が高まっているのを感じた。
ああ。彼といると、本心を隠し、一人で生きるつもりでいた頑な意志が、警戒をほどかれてしまう。

「その前にどちらも必ず見つけますのです」

ですから一緒にハドレッドさんを探しましょう?
優しく宥めるように話すスウロに、クーナは小さくため息を零す。結局答えになっていないじゃないかと心の中で呟くが、何故か不快な気持ちにはならなかった。

「あなたに何を言っても無駄なのは分かりました。……ハドレッドの居場所をいち早く気付けるその能力の高さが心強いのは確かですが」
「任せて下さい、です。ピンときたらすぐに知らせるのです」
「それ、今こうして共に行動してるから出来ることなんですが…わたしが近くにいない時はどうするつもりなんですか?」
「確かにそうなのです!でしたら、もうしばらく一緒にいましょうか。ぼく、またあなたの歌が聞きたいのです」
「……あなたは本当に、もう」
「?」

僅かに表情が和らいだ彼女の様子にスウロは笑いかけ、再び歩み始める。気の抜けた会話をしながら、クーナは人とこれだけ長く話すのは何時ぶりだろうかと考えた。

日に日に傷を負っていくハドレッドの状態は決して良くは無く、恐らく残り時間は限られている。
どんな立場であれ、わたしはハドレッドの姉だ。裏切り者だろうとわたしにとってハドレッドはたった一人の弟であり、家族だ。それならば見知らぬアークスに止めをさされる前に、これ以上犠牲者を増やす前に、せめてわたしが解放してあげなければ。
そして、

「そうだ、クーナさん。話を戻してしまい申し訳無いのですが、ハドレッドさんの事で、」

目の前にいるこのお人好しな彼に、ハドレッドの最後を共に見送ってほしいと強く願う。
確かに存在したハドレッドという一人の龍の記憶を、忘れないでほしいから。何より、少しでもハドレッドが寂しくないように傍にいてほしいから。
わたしの決意を、どうか支えてほしいから。

クーナの内に秘めた「信頼」する想いが届いたのか、スウロはエメラルドグリーンの瞳を細め、小さく頷いた。






+ + + + + + + + + +

ドスン、と大きな音を立てながら崩れ落ちていく暴走龍。青いキューブブロックに囲まれた此処は浮遊大陸の最奥で巨大なハドレッドが暴れ回れるくらいに広く、龍族の協力によってこの場所まで誘導する事が出来た。そうして最後の舞台を終えたハドレッドは、クーナとスウロの目の前でついに倒れる。その姿は戦う前に見せた力に振り回され苦しんでいる様子ではなく、安堵するかのような脱力感。クーナとスウロは力強さを失っていくハドレッドを静かに見守り、沈黙する。
が、クーナは見ていられない気持ちが溢れ、途中ハドレッドから目をそらし、唇を嚙み締めた。その時、
ハドレッドが僅かに身体を揺らし、クーナを見た。
遠退いていく意識を必死に保ちながらクーナを見つめている様子にスウロは気付き、思わず目を伏せ悲しむクーナへ声を掛けた。

「クーナさん、あなたを呼んでいますのです」
「っ、」

​スウロに言われるとクーナはビクリと驚き顔を上げ、未だに見つめ続けているハドレッドの姿に息を呑む。駆け足でハドレットに近付き、重傷を負った大きな彼の身体にそっと触れる。
どうしたの。
何を伝えたいの。
まるで子供をあやすかのようにクーナが問い掛ければ、やがてハドレットは訴えてきたあの強い眼差しのままこう呟いた。






" もう一度  あの歌を、 "






「やっと覚えた言葉が……それなの?」

今まで耐え抜いてきた感情が一気に破裂し、クーナは行き場の無い拳を強く、強く、握りしめ、ぼろぼろと涙を零す。
震える声で力無く怒るクーナを、ハドレットは目をそらす事無くじっと見つめている。初めて喋った言葉はとても不器用で、残り時間を噛み締めるかのようで、最後の力を振り絞り甘える弟の姿はあの頃と同じで。いつだって一緒だった過去に、例え残酷な世界の中でもわたし達にとって大切だった日々に。
最後まで自分の事よりもクーナを優先した一言が、あの頃の感情をもう一度思い出させてくれた一言が、もう戻る事は出来ないのだと思い知らされる一言が、それでも未来を感じさせる一言が、様々な形となりクーナの心に突き刺さった。

クーナは張り裂けそうな胸の痛みを自覚したまましばらく動かず、やがてぐ、と流れる涙をこらえスウロへと振り返る。一歩離れた場所でやりとりを見ていたスウロは、あの微笑みをクーナへと返し一度だけ強く頷く。クーナはスウロの同意と共に自身に鞭を打ち決意すると、座り込んでいたその場から立ち上がり、ハドレットに伝わる様声を張り上げる。

「ああ、いいともさ!一曲と言わずいくらでも歌ってあげる」

張り上げて

「観客はスウロと、ハドレッドの二人だけ」

張り上げて

「――――だけど、だけど…っ、だからこそ……!」

張り上げ続けて。

こらえたはずの涙が地面に寂しく、美しく、零れ落ちる。姉としてせめて最後はとびきりの笑顔で、なけなしの意地を張りたかったけれど、結局一向に涙がおさまる様子は無かった。それでもハドレッドに答えるように、ステージ上に立ち歌う「クーナ」の時のように、明るく、儚く、優しく歌声を全体へ響かせる。

(聞こえていますか、ロルフッテ、ラビナ)
(人の心とは、なんて美しいのでしょう。なんて、儚いのでしょう)

観客の中にラビナやロルフッテはいないだろう。だがどうしても彼女らにこの感動を想いに寄せたかった。スウロはクーナの姿を見て強い衝撃と感動を覚え、自然と目を見開き自身の胸に手を当て歌声を聞いている。心の宝石から誕生したとはいえ生まれてから外の世界に出ての年数がそれほど経っていない理由と、知識はあれどその場面に直接関与した経験が浅い為、たった今彼にとって貴重な体験をしていた。
これが、繋がりや深い絆を持った者達の暖かさ。
これが心の強さ、弱さを持った者達の切なさ。
これが心の痛み。
これが、人の心。

(ぼくはこれから、もっと大切な事を知る機会があるのかもしれません)
(だって今まで気付けなかった感情を、このお二人のおかげで知る事が出来たのですから)

知りたい。
もっと人の心を、知りたい。
スウロは二人の物語を忘れぬようしっかり目に焼き付け、エピローグを静かに見届ける。美しい歌声はハドレッドの意識が感じられなくなった後も続いた。
何度も、何度も。





「この歌は、この歌だけは、あなただけのために」

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