交流▶空白の夢
✔よその子/
冬宮さん、テティスちゃん
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□年〇月×日。どうやらこの夢は一日中雨が降っているらしい。
ぱらぱらと空から降り注ぐ小雨は静かでこの辺り一面が湿気に覆われる。
帰路を急ぐ人。はしゃぐ少女。他者多様に過ごす者達をぼんやりと見つめる後ろ姿があった。
「あんなにはしゃいでさ。この後、トキハがこけるんだよなぁ」
その存在がぽつりと独り言を呟けばお転婆な少女が目の前で盛大に水たまりへと突っ込んでいった。足元がびしょ濡れになり泣きべそをかきそうな少女を支えるようにもう一人の子どもが寄り添い再び歩き始める。
そうして目の前で見守っていたその存在には気付いていないのかそのまますれ違っていった。
その存在には、見覚えがある。
姿が見えなくなるまで見送る様子はどこか嬉しそうで。寂しげで。懐かしげに。まるで自身が表舞台に立たない事をひどく安堵しているようだった。
(いつものお調子はどこにいったのやら)
あまりにその背中が小さく今にも消え入りそうなものだから一つ驚かせてやることにした。
「こんなところでぼーっとしてると風邪引くぜ?」
「……っ!?」
いつもの手順でその存在の背後に気配無く立ち耳元まで顔を近付けささやく。そうすればその存在は必ず目を丸くし振り返るのだから。
反射的に引き起こした動作と共に声を掛けられた事が想定外だと顔に書いてある。その様子が中々面白い。
「ふはっ、相変わらずいい反応するなぁ」
「……どう、やって……ここに入ってこれたの」
「どうって……いつも通り?」
「いつも、なわけないの」
(お、口調が変わった)
ケラケラと笑えば顔をしかめ威嚇するように睨みつけてくるその存在の態度はやはり馴染みのあるものだ。機嫌良くその存在の隣に並び同じように降り続ける雨の世界を見つめる。
「ここはきみの夢?」
「夢……じゃないの。記憶」
「記憶? 夢じゃなくて?」
「そう。世界の、記憶」
「ふーん。そうか」
世界の記憶。なんとも壮大な話だ。仮にもし本当なら此処はその存在が“いたはずだった“記憶なのだろうか。
俺の態度に諦めがついたその存在は質問にも素直に答える。
「……帰るなら早めにしたほうがいいの。ここは先も後もないけれど、数千の時を繰り返している。本来あるべき場所からどんどん離れていくことになるの」
「それは困るな。でもまあすぐに帰るってわけにはいかないんだ」
「……なの?」
難しい言葉を並べるその存在の壁を作る癖はどうやら健全のようで、なんとなく共感出来るものがある。
「そうだな……。うん。きみに会いに来たって言えばわかる?」
「……は? ……はぁ!?」
「あはっ、その反応も懐かしいな!」
「んな、な、な、な、なんのことかテティスはわかんないの!?」
「きみって本当に分かりやすいね」
動揺を隠せないところも変わっていないようで本人に自覚がないというのも不憫な事だなと他人事のように考える。
「う、うるさいの!そもそもテティスと君は初対面なの!!」
「えー? ようやく見かけたから話しかけたのに、灰猫ちゃ……っ」
その存在の名を呼ぼうとした途端視界が暗くなる。
「……ダメ、なの。それはダメなの。ボクの名前は、テティスなの。」
咄嗟に俺のフードを引っ張り言葉を途切れさせるその存在の手や声は僅かに震えていて、その弱ささえも必死に隠そうとしている。
「テティス?」
「そう。だから、思い出さないで。僕を」
テティスと名乗る存在の顔は自分のフードが遮って見えない。けれど声色でなんとなく見せたくないのだと悟り抵抗はしなかった。
空間が紙切れのように崩れて剥がれていく。夢の終わりだろうか。自分のいない記憶の回想を止めたのだろうか。
想像を、諦めたのだろうか。
「もしこの世界線を覚えてても、僕には何も言わないでよね。ばーか」
“初対面のテティス“とは裏腹に聞き覚えのある口調でそう告げられるのをぼんやりと聞きながらゆっくりと仮面からの視界を閉ざした。
「おーい、仮面野郎」
「……灰猫ちゃん?」
「お前寝すぎ、そろそろ日が暮れるよ」
「あれ。俺寝てたの?」
「そりゃあもう、ぐっすりと。」
「そっかー」
その馴染みのある声で名前を呼ばれ意識が覚醒する。腕組みをして椅子に座り込み眠っていたらしい俺の隣で机上に魔術の書類や道具を並べながら様子を伺う灰猫ちゃんの姿が見える。
そうだ、酒の土産を持っていくついでに灰猫ちゃんの研究部屋までお邪魔したんだっけ。その後の記憶がない辺り酔い潰れて熟睡していたのだろう。
くあ、と欠伸をしながら朦朧とした意識の中夢に関して思考する。
「なんか変な夢見た気がするなあ」
「へぇ、どんなの?」
『僕には何も言わないでよね』
テティスの言葉が耳元で再生される。テティスにとって都合が悪いのだろうが生憎俺の記憶力は場合によっては長けている方で。
言葉遊びが好きな自分の口が止まるのは珍しい事だと思いながらへらりと笑って答えた。
「あー……忘れちゃった」
「なんだそりゃ」
いつもの声のトーンで話せば灰猫ちゃんは呆れた様子で椅子に座り研究の続きをし始める。カタンとビーカー達を机に置きながら準備をする灰猫ちゃんの動作を眺めながらそのままお構いなしに話す。
「夢は脳の記憶処理って言うけど」
「?」
「まれに経験した覚えのない世界に飛ばされる感覚って無い?」
「んー…?さあ、どうだろ」
そう話した途端薬液が入った細いビーカーをゆらゆらと揺らし観察していた灰猫ちゃんの動きが止まる。
「…お前さ、もしかして夢の中からあちこち行ききしてるんじゃないだろうな」
「“どっちだと思う?“」
「……知るか」
興味があったのはそこまでのようで灰猫ちゃんの返答は曖昧に終わった。元より隠しも表にもするつもりはない俺も気にする事無く背伸びをした後椅子から立ち上がる。ふと足元で何かが当たり見下ろすと空になった酒が転がっていた。
(次はもう少し度数が低めの酒にでもするかな)
悪酔いを避けるべく甘酒を候補に入れながら空になった瓶を拾い上げた。
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