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≣ 04 ≣
(あ…蛇目くんだ)
私が此処に来た時よりも人が多くなってきた頃。
窓から差し込む太陽の光を浴び、僅かに目を細めながら食堂の入り口から歩いて来る蛇目くんの姿が見えた。蛇目くんに気付いた一部の人達はあの赤い目の能力が原因か若干避けて通っているようにも見え心が痛む。
私はしばらくトレイを持ったまま立ち尽くした。話し掛けようか迷ったのだ。
迷って、ふと考え直す。
何を迷う必要があるのだろうかと。
蛇目くんは私の恩人だ。やり方はどうであれ何度も助けてくれた。人の視線は怖いがあの時蛇目くんの事をもっと知りたいと思った感情を気のせいだと思いたくない。
私はぎゅ、とトレイを握り直し蛇目くんへと近付く。
「あ、の……、蛇目くん」
「!鏡夜くん」
昼食を決めているのだろう入口のすぐ隣に立て掛けてある手書きのメニュー表をじっと眺めていた彼へ小声で話し掛けると、蛇目くんはすぐに気が付きこちらを見る。
ぱちりと目が合い心臓が高鳴るのが分かる。
「おっ、おおおおはようっす!あの、良かったら、いっ、一緒にご飯食べましぇんか!」
「……」
辺りが静まる。
緊張を誤魔化す為に思いきりを付けた私だが意味も無く。素直に終わったと思った。
人の視線が集まる中、未だに無表情でこちらを見つめ返してくる蛇目くんが怖い。
「………ご……っ、ごめんなさい迷惑っすよね邪魔っすよね今すぐどくのであの」
「いえ。お構いなく」
段々この静けさに耐え切れなくなった私は顔を覆い逃げるようにして背中を向けるが、蛇目くんがようやく反応を示し私の肩に手を置きやんわりと止める。
恐る恐る振り向き蛇目くんと再び目が合えば、彼は「一緒に食べましょう」と淡々とした声の調子で話した。相変わらずの無表情だが何よりも反応があった事が嬉しくてほ、と安堵する。
それから幾つか言葉を交わし、蛇目くんは昼食を取りに向かった。私は二人分の席が空いている場所を探し、丁度窓際に向かい合わせとなるテーブルを見つける。
周りは先程のようなざわつきは無くこちらの興味も無くなったのか異様な視線も感じない。今のうち、と私は空いている席へと移動し持っていたトレイをテーブルの上に置き遠慮がちにシンプルなデザインの椅子へ腰掛ける。
窓から心地良い日差しが掛かり昼時だが眠気を誘う。
と、思いきやいつ彼がこちらへ向かって来るか分からない為そわそわと落ち着かない自身が恥ずかしい。眠気なんて先程のやり取りですっかり覚めてしまった。ああ、緊張で目元が。
「お待たせしました」
「ひゃい!?」
突然背後から声を掛けられ思わず間抜けた声が出てしまう。
何故泣いているのですか、とさらに顔を近付けながら問われますます目が潤んでしまい何故か何度も謝罪しながら距離を置いた。さぞかし顔が真っ赤だったことだろう。
蛇目くんは向かいの席に座り、コトリと静かにトレイを置く。ふわ、とたち香る湯気と外見で汁蕎麦を頼んだのだと知る。蕎麦、好きなのだろうか。
「食べないんですか?せっかくの昼食が冷めてしまいますよ」
「えっ、あ、い…いただきますっす…!」
「…」
「…」
分かってはいたが沈黙。
カチャリと食器の音が控えめに響く。上手い話題も思いつかずたまにちらりと彼を盗み見ては視線を下げ、一口サイズに切ったホットケーキを口に含め咀嚼する。この繰り返しであり彼もまた黙々と麺をすすっている。
一見気まずい雰囲気だが普段一人で食べる事が多かった私にとっては新鮮だった。何故だろう、先程まで何を話そうか緊張で胃を痛めていたというのに不思議と今は落ち着いてきている自分がいる。
ナイフとフォークを持ち直したところでふと視線を感じ見上げると蛇目くんがこちらを様子見しながら話し始めた。
「鏡夜くんは、よくそれを頼むんですか?」
「あ…う、うん…蛇目くんは蕎麦が好きなんすね」
「はい。和食の方が食べ慣れているので…」
確かに洋食よりも和食の方が彼のイメージにしっくりくるものがあり、納得した。ごく普通のやり取りに私はほんの少し笑みを浮かべる。
蛇目くんはそのまま続ける。
「…やはり男性にしては食べる量が少ないのでは?」
「えっ。そ、そうっすかね…?」
「貴方が細身な理由が分かりました」
よくよく見てみれば蛇目くんは蕎麦だけでなく柏飯や追加の汁物なども注文していたようだ。戦闘時あれだけ動き回るのだから空腹も早いだろう。
それに比べて私は小さめのホットケーキが二枚と小皿に盛り付けられたプレーンヨーグルトとシロップが一つ。しっかり食べなければまた倒れますよ、と彼にやんわりと指摘され息詰まる。
彼は私よりも僅かだが身長が低く小柄な方だが、きっと程よく鍛えられた筋肉がついているだろう。少しだけ羨ましい。
「蛇目くんだとホットケーキはおやつになるかもしれないっすね…」
「そうですね…実はまだ食した事はありませんが」
「そうなんすか?あ、甘くて美味しいっすよ」
「栄養があるようには見えません」
「うっ。え、エネルギーにはなるっす!」
「そうきましたか。…ふむ」
「?」
「以前から感じていましたが鏡夜くんの体力の無さといい戦闘の素人加減といい、鍛えがいがあるといいますか…」
「じ、蛇目くん?」
「そもそも鏡夜くんの戦い方も間違ってると思うんです」
「どどどどうしたんすか急に!?目が怖いっす…!」
あまりに淡々と話すものだから思わずフォークで口へと運んでいたホットケーキの欠片を皿に落としてしまった。終いには基本態勢で宜しければ教えましょうかといたって普通に提案してきて余計に動揺する。
どうしてそんな話になったのかと聞くと、どうやら彼には体力的にも技術的にも不安要素が多いように見えるらしい。ように見えるではなく実質彼と比較すると何もかもが経験不足というのが正解で。それは私も一番よく分かっている事だった。
内容を聞いている内に心配してくれている事が分かったので、私は押されつつも遠慮がちに一つ頷いた。
普段はあまり口数が多くないイメージがあった蛇目くんがこうして私に話すという事は、ほんの少しでも距離が縮まったという意味だろうか。そう思うと私は僅かに安心し、嬉しいと感じた。
+++++
がちゃりとドアが開く音。
先に部屋へ入り振り返ると「どうぞ」と目で私を招待する。後ろから見守っていた私はペコリとお辞儀をしてから控えめに部屋へと足を踏み入れた。
「お…おじゃまします、」
蛇目くんと同様靴を脱いだ後呟いた私の小さな声も此処ではよく聞こえる様で余計に縮こまる思い。はじめてだ、人の部屋に入るのは。
彼は私に適当に座るよう言うと右端にあるシンプルで小さなタンスの中を丁寧に確認し始めた。和他者彼の様子を見ながら畳に置いてある座布団の上へと座り込む。一時はじっとしていたが徐々に周りへと興味が湧きぐるりと見渡せば、洋室と和室が繋がったような構造になっているのが分かった。和モダンといったところか。現に今座らせて貰っているこの場は座敷で飾り気の無い卓袱台と座布団が置かれていた。意外に広く、家具も必要最低限のもの以外見当たらない。彼の性格上あまり余計なものを置かないのだろう。
ほのかにする木の香りでどこか懐かしみを感じているとタンスを閉める音が聞こえ蛇目くんを見る。とあるものを手に持ちこちらへやって来ると、蛇目くんはその場で屈み込み私との視線の距離を短くする。
そして手にしていたそれをずい、と私の前へ差し出してみせた。
「僕のおさがりで良ければこれを」
「これ、は…?」
「脇差です。打刀よりも小型の刀なので鏡夜くんでも使いやすいと思います」
蛇目くんの手元へ恐る恐る視線を下ろすと鞘に桜模様が彫ってある比較的小さめの刀が見えた。私は目を丸くする。
昼食を終えて二人でやって来たのは蛇目くんの部屋。
食事をしながら話を続けていく内に彼は少し考える素振りを見せた後「渡したいものがある」と私に言ってきたのだ。決して嫌という訳では無いのだが、彼の考えが読めなかった以上肩の力を抜けという方が無理な話で。
その時はまず部屋に招待されると思っていなかった為かなり動揺し理由を聞いたが、その問いに蛇目くんは答えずそのまま誘導され今に至る。
「鏡夜くん、武器という武器も持ってないようでしたので」
「わ…私なんかが、こ、こんな高価なもの受け取れないっすよ…!」
素朴な感じがして美しいこの刀の装飾、鍔の形、柄などを見ていく内あまり日本刀に詳しくない私でも貴重なものだと分かり慌てて首を横に振った。
おさがりといえど蛇目くんが今まで大事にしてきたものに変わりは無い。しかしおどおどとしている間に蛇目くんは私の手を取りその脇差を渡した。落とすといけないと手に持った私は再度言葉を挟もうとしたが、いいからと彼にするりとかわし背を向けられてしまう。蛇目くんは何事も無かったかのようにその場から離れ、ポットや湯呑み、急須が置いてある所へと移動しお茶を入れ始める。
確かに私は武器らしい武器は持っていない。
戦闘時に盾として使用している大きな鏡は右肩に身に付けているアクセの魔力から出来たものだ。どちらにせよ自身が傷付かなければ攻撃も反撃も出来ない代物で、誰が見ても武器というには程遠い存在である。
だからといって彼がここまでしてくれる理由が分からなかった。
もっと蛇目くんの事を知りたい。仲良くなりたい。これは本心だ。
けれどそれは私の一方的な、身勝手な感情であって。迷惑を掛けて良い訳が無くて。
未だに困惑を隠しきれず蛇目くんを見つめていると視線に気付いたのか彼はこちらへ振り返り、
「僕がいる間は必ず守りますが己を守る術も持っておいた方がより安全ですから」
いたって普通にそんなことを言われ、私は言葉を失う。
「どうかしましたか?」
「っ、あ……」
ぐるぐると考えていたことが嘘のように脳内から消えていく。
当たり前のように答えた彼の言葉に初めて出会った頃の圧力も無く、ただ優しく、親しみを込めて言われたのだ。
顔が熱い。
嬉しさと恥ずかしさがぶわりと込み上げ、視線を下ろす。
お茶が入った急須と湯呑みを二つおぼんに乗せ再びこちらにやって来た彼。向かいにあるもう一つの座布団の近くへ寄り、静かに卓袱台へおぼんを置きお茶を湯呑みへ入れ始める。湯気とお茶葉の香りで辺りの空気がより暖まる。
結局、彼がお茶を入れ座布団の上へと正座するまでの間何も言葉を発する事が出来ずにいた。視線を感じてますます口ごもる。きっと耳まで真っ赤だ。
ふと手元にあるものが目に映り、再びその美しい脇差を眺める。彼が大事にしてきたもの。私にとっても今までにない宝物となるだろう。
「……あ…ありがとうっす……使いこなせるかどうかは、分からないけれど…」
眺めている内にほんの少しだけ緊張がほぐれ、きゅ、と貰った脇差を大切に両手で包み胸元の傍へ。祈るように閉じていた瞼を開き、ゆっくりと蛇目くんへと顔を上げる。
「…嬉しい……、」
それは自然に、ぽつりと彼へ感謝の気持ちを口にしたものだった。
私は微笑んだ。
きっとはじめて彼に見せる最大級の笑顔を。