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≣ 02 ≣

――――鏡よ鏡、鏡さん
どうか怒らないで、悲しまないで、苦しまないで。
その苦痛は、憎悪は、欲望は、誰のものなのでしょうか。
誰が生み出したものなのでしょうか。
ねえ、鏡さん
どうか盾の分際の私に、教えて下さい。

 


「傷、治さないのですか」

あの静かで感情のこもっていない声が私を呼び掛けた。泥や血でボロボロになった服を拭う事も無くそのまま人気の無い場所の壁の隅に座り込んでいた私は見上げる。
彼、蛇目くんは涙でくしゃりと髪などが乱れた私の様子を見ても動揺する事はない。むしろ私がどういう状況か知っているようだった。短い問いに私は枯れた喉で力無く笑った。

 

「また、負けちゃったっす」
「……」
「何回も死んだのに。能力を使ったのに。負けたのはどうしてだって言われたっす」

 

何も言い返せなかった。味方とまともに協力出来ずに試合に負けたのは事実なのだから。私の存在意義は盾になる事で成り立つというのに。何故この手は、この足は何度も思うように動いてくれないのだろうか。
私は臆病な私自身を責める。味方もそんな私を見て呆れたり、怒りを露にしたり、足手まといにしかならないと嘲笑ったり。…最悪だ。

 

「…僕には理解出来ません」
「え…」
「戦いに向いていない貴方が何故このような世界に訪れたのか」
「そ、れは」
「貴方は弱すぎる。僕の手でなくともいとも簡単に壊せる」

 

ぽつりと弱々しく話した私の言葉に蛇目くんはあろうことかさらに追い討ちをかけてきた。私は驚いて肩を震わせ表情を崩すも彼はコツリと小さな足音を立てながら近付き、続ける。
どうして。どうして、そんな目で見てくるの。

 

「お名前の通り鏡のように脆い鏡夜くん。いっそ、今此処で僕が石にして差し上げましょうか」
「な、なに…を、」
「そうやって痛々しい状態になる事も、涙を流す事も無くなります」
「……い、や…、」
「さあ。僕の目を見て」
「―――っ、嫌!!」

 

しん、と辺りが先程以上に静まる。
無表情で目の前まで近付き、あの真っ赤な瞳に見つめられ一歩も動けなくなっていた私は思わず叫んでいた。目を逸らす為咄嗟に俯いたかわりに蛇目くんの靴が見える。蛇目くんもこれ以上近付こうとは思っていなかったようだが、それでも刺すような視線が上から降りかかってくるのが分かり、ズキズキと傷口が痛む。
以前綺麗だと感じた瞳とは違って見え、恐怖で頭が真っ白になり拒絶してしまった事に私は口元を抑え目を見開く。これでは前に話した言葉が嘘になってしまうではないか。

 

「ち、が、違うっす、ごめんなさい、蛇目くんの目が怖いんじゃ、なくて」
「…無理しなくて良いんですよ」
「瞳が綺麗だって言ったのは本心なんす…!わた、私が、本当に怖いのは…っ、」

 

本当に怖いのは臆病者の私なんです。
次々に出てくる大粒の涙をぬぐう余裕も無いまま話す私に蛇目くんは黙り込む。思わず立ち上がっていた私はもう一度、蛇目くんを見つめた。何度見ても吸い込まれそうな赤い目。冷淡な言動とは対照的で強い意志を感じさせるそんな美しい瞳を、私は否定したくなかったのに。私は首を横に振る。

 

「臆病な、弱い私を捨てられるように頑張る、から…っ、いくらでも盾になるから、何度も殺して、いいから…!」
「……」
「お願…い…、見捨て、ないで……、っ」

 

その言葉は誰に向けたものなのだろう。
目の前にいる蛇目くんだろうか。同じチームになってくれた人達だろうか。この世界の人達だろうか。世界自身だろうか。
すがるような異常ともいえるこの感情はこの世界に来る前から存在していた。必要とされなければ誰かの手によってあっという間に破壊される鏡のようなものだった。何度も何度も壊され踏み倒される鏡をいつだって凝視していたのは『あの人達』だ。

いつからか、私はその複数の目に見つめられ恐怖を覚えた。監視するように見つめてくる『あの人達』が望んでいる事をしなければまた破壊されるのだろう。何度だって殺されるのだろう。物語はきっとそうやって繰り返されているのだから。

 

「……貴方は、」
「っ!」

 

ふとこれ以上の言葉が上手く出ず小さく嗚咽を漏らしながら涙を流していた私へ蛇目くんの手が伸ばされた。
私は不快な思いをさせてしまったのだと再認識し青ざめぎゅ、と目を瞑り衣服を強く握り締める。…しかし

さら、と乱れた髪とともに頬に触れられ私はビクリと肩を揺らし驚いた。
瞼を開ければそこには相変わらず無表情でいる蛇目くんがじっと見つめてきている。だが心なしか僅かに好奇心と似た感情が湧き出ているように見え、余計に私は困惑する。戦闘慣れした細長くもしっかりとした手に優しく触れられくすぐったく感じ思わず身をよじる。

 

「…っ、……じ、蛇目く、ん…?」

 

彼の考えている事が分からない。
しばらくされるがままになった後、蛇目くんは濡れていた私の涙を軽くぬぐう。それを最後に彼は視線を外し私の腕を取り淡々とした声で言った。

 

「手当てしに行きましょう。傷が残ります」

 

そう言ったのは蛇目くんの方なのに何故か本人は訝しげな表情になりながらも私の腕を引いてゆっくりと歩き始める。彼自身の行動が理解し難いといった様子で私も判断がつかないままコンクリートに囲まれた人気の無い建物達を見て、それから蛇目くんの背中を見る。
蛇目くんはどうしてこの世界に来たのだろう。
遠くから差し込んでくる日差しを浴び眩しげにしながら、私は彼を眺め続ける。

 

後に治療室を探し二人で廊下を歩いていたところ、すれ違った白いカラクリからアリーナで受けた傷は一定時間経つと元に戻るという話を聞いた。まだこの世界に訪れて日にちが浅い私達は組織やシステムを把握するには時間が必要である。

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